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もし映画「沈黙 -サイレンス-」の神さまが松岡修造のようにしゃべったら。|谷口マサト
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もし映画「沈黙 -サイレンス-」の神さまが松岡修造のようにしゃべったら。|谷口マサト
映画「沈黙 -サイレンス-」を見てきた。ざっくり言うと、キリスト教を信じるだけで拷問・殺される江戸時... 映画「沈黙 -サイレンス-」を見てきた。ざっくり言うと、キリスト教を信じるだけで拷問・殺される江戸時代、宣教師が熱心に伝道するほど人は苦しむ、という矛盾に対し、心の中で神に問いかけても何も言ってくれない(沈黙)。神から見捨てられたと感じた宣教師はキリスト教を捨てるが、最後に「沈黙」の意味を知る。 原作が好きなので重いと知りつつ見に行き、やっぱり重い上に音響も沈黙なシーンが多く、ポップコーンを食べるのにも気をつかうので沈黙はやっぱり辛い。拷問される殉教者に、神様が「頑張れ!」と松岡修造ばりに大声で連呼してもらったほうが食べやすいが、そんな神さまもうさんくさい。 この沈黙の意味、原作ではラスト二行で表現され、それによって全ての意味がひっくり返る、という小説「イノセント・ラブ」級の素晴らしいどんでん返し構成なのだけど、映画でも見事に表現されていた。見事な映画だ。 ただ主人公が最後に持っているアイ