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《人間が自分の行為に責任をもつことは不可能だ》と主張するG・ストローソンの議論をどう理解するか?|山口尚
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《人間が自分の行為に責任をもつことは不可能だ》と主張するG・ストローソンの議論をどう理解するか?|山口尚
イギリスの哲学者ゲーレン・ストローソンは〈自由意志や道徳的責任の存在の不可能性〉を示すことを目指... イギリスの哲学者ゲーレン・ストローソンは〈自由意志や道徳的責任の存在の不可能性〉を示すことを目指す論証――それはしばしば「基本論証(Basic Argument)」と呼ばれる――を提示している。彼が来日したとき私は直接会話したのだが、G・ストローソンは「この論証を公表したことが原因となって脅迫を受けたことがある」と言っていた。本ノートは、基本論証の内容を、そしてG・ストローソンの立場の要点と重要性を説明する。 本ノートの議論の流れは以下である。はじめに――具体的事例として――G・ストローソンの理路が大雑把な形で提示された裁判の実例を見る(第1節)。そのあと、上述の基本論証の内実を確認し(第2節)、それに対する(業界では)有名なクラークの応答に触れる(第3節)。最後に、G・ストローソンの議論の意義の、彼自身による説明を追いたい(第4節)。 第1節 議論の前に――クラレンス・ダロウの演説 はじ