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反戦という紐帯、あるいはいかにして「音楽の力」と向き合うか——個々別々の人間が同じ場に居合わせることの可能性について|細田成嗣
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反戦という紐帯、あるいはいかにして「音楽の力」と向き合うか——個々別々の人間が同じ場に居合わせることの可能性について|細田成嗣
反戦という紐帯、あるいはいかにして「音楽の力」と向き合うか——個々別々の人間が同じ場に居合わせるこ... 反戦という紐帯、あるいはいかにして「音楽の力」と向き合うか——個々別々の人間が同じ場に居合わせることの可能性について 耳をそばだてるも音楽が居場所を失った世界。そうした世界を正しく想像することができるだろうか。戦火に曝された人々にとって音は生き延びるための重要な手がかりである。周囲の環境音に耳をそばだて、いつ訪れるとも知らぬ敵機の襲来を敏感に察知し、場合によっては即座に安全な場所へと逃げ込まなければならない。実際に二度の世界大戦においてこうした耳の技法は軍事力の一つとして要請されていた。敵機の音を聴き取るための空中聴音機が導入され、どのような種類の戦闘機がどのような位置に飛来しているのか聴き分ける耳の訓練が重要視された——そのために4枚組のSP盤『敵機爆音集』も作られている。むろん聴覚を研ぎ澄ますまでもなく、目と鼻の先で轟く爆撃音は死が間近に迫っていることを知らせる危険信号でもある。音は生