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第3話 セルフ・パブリッシングの落とし穴|Akinobu Oda
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第3話 セルフ・パブリッシングの落とし穴|Akinobu Oda
あのころの僕らは、出版社をやりたかったわけじゃなく、ただただ、雑誌が作りたかっただけ。だから、ど... あのころの僕らは、出版社をやりたかったわけじゃなく、ただただ、雑誌が作りたかっただけ。だから、どうやってそれを書店に並べるか、次の号を出すためにどうやって精算していくか、それ以前にどうやって売るか、なんて何ひとつ考えていなかったのです。 道まだ遠く 『3ちゃんロック』との出会いで雑誌作りに興味を持ったわけですが、具体的にどうやってそこにたどり着いたらいいのかは分からない。当時、少しニューヨークに住んだこともあって、現地のファンジン・カルチャーに刺激を受けるものの、自分の興味と重ね合わせるには言葉の問題が大きすぎました。自分はヴィジュアル的な素養よりも、言葉によって刺激を得るのだろうな、とあらためて思った時期でした。 その後、何の経験もないまま、3年ほど、リットーミュージックという出版社で雑誌作りの基礎を教えてもらうことになります。時代は1990年代中期、電算写植/電子組版を知っている最後期