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東京都心の爆弾テロ、43年後の真実③|竹内明
1974年8月30日に東京丸の内で起きた三菱重工ビル爆破事件。警視庁公安部の古川原一彦は五ヶ月間、不眠不... 1974年8月30日に東京丸の内で起きた三菱重工ビル爆破事件。警視庁公安部の古川原一彦は五ヶ月間、不眠不休の尾行、張り込みの末、ついに、東アジア反日武装戦線「狼」を追い詰めた。逮捕の瞬間いったい何が起きたのか?そして、その顛末は屈辱的なものだった。東アジア反日武装戦線のメンバーの一斉逮捕当日、1975年5月19日は朝から雨だった。極秘にしていたはずの捜査情報は漏れていた。 <爆弾犯、数人に逮捕状> 産経新聞朝刊にこんな見出しが躍ったのだ。 「恥ずかしい話だが、俺は佐々木がとっている新聞がどこなのかを把握していなかった。産経に記事が出たとき、『佐々木は産経をとっているのか?』と上司に聞かれて、答えられなかった」(古川原) 古川原は5人の逮捕要員とともに佐々木規夫が住むアパートから梅島駅に向かう道に、サラリーマンを偽装して張り込んでいた。逮捕要員以外に15人ほどの防衛要員も周辺に配置されている