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何者であるか、を手放せ。|大見謝
自分が何者なのかなんてわからなくていい、どうだっていいことだ。 他人にある程度を説明できる肩書みた... 自分が何者なのかなんてわからなくていい、どうだっていいことだ。 他人にある程度を説明できる肩書みたいなものは必要だけど、それによって自分を語りつくすことなんてできない。だって、その肩書は、自分のほんの一部でしかないのだから。 だから、何者かになろうとして、”その肩書”を得たところで、何者かになれているのだろうか。手段としての肩書であって、目的ではないはずだ。その言葉に振り回されてしまっている、もっと言えば、他人の目を気にした言葉にすがってしまうというのは若者が通る道なのかもしれない。 あの頃の自分に対しての叱責がほとんどなんだけど、おそらく10~20代は、自分の存在証明を必死に探して、「自分だけにしかできないことを」とたやすく口にしては、わかりやすくて他人から賞賛されやすいものを目指してしまう。 自分が思い描く自分を、他人にも知ってもらおうという押し売りにも近いような存在証明をしようとする