エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
主観的な世界の貧困化―――実存主義に向けて|小野ほりでい
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
主観的な世界の貧困化―――実存主義に向けて|小野ほりでい
たとえば書物とかペーパー・ナイフのような、造られたある一つの物体を考えてみよう。この場合、この物... たとえば書物とかペーパー・ナイフのような、造られたある一つの物体を考えてみよう。この場合、この物体は、一つの概念を頭にえがいた職人によって作られたものである。職人はペーパー・ナイフの概念にたより、またこの概念の一部をなす既存の製造技術―――けっきょくは一定の製造法―――にたよったわけである。したがってペーパー・ナイフは、ある仕方で造られる物体であると同時に、一方では一定の用途をもってもいる。この物体が何に役立つかも知らずにペーパー・ナイフを造る人を考えることができないのである。ゆえに、ペーパー・ナイフにかんしては本質―――すなわちペーパー・ナイフを製造し、ペーパー・ナイフを定義しうるための製法や性質の全体―――は、実存に先立つといえる。(「実存主義とは何か」、サルトル) わたしたちが、なぜ自分は「生きていてよい」のかと定義する方法は―――すなわち、自己の存在を肯定する方法は大きくふたつに分