エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第六回:閉じつつも閉じすぎない読書について|倉下忠憲
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第六回:閉じつつも閉じすぎない読書について|倉下忠憲
本の読み方には、さまざまな形態・様式がありえます。 とは言え、現代的な読書はひとりで黙読するのが一... 本の読み方には、さまざまな形態・様式がありえます。 とは言え、現代的な読書はひとりで黙読するのが一般的でしょう。オンリーでロンリーな読書です。 この黙読スタイルは、多少訓練が必要なものの、体得すれば素晴らしい環境が手に入ります。まるで、精神と時の部屋のような時空間です。 その場所には、私たちを煩らわせるものがありません。厄介事はすべて外世界に追いやられ、意識はただ目の前の文字を追うことだけに向けられ、やがては文字を読んでいることすら意識から消えていきます。 言葉の流れ。意味の流れ。意識の流れ。ただそれに身を任せばいいのです。 まるで、見事に調整されたデイリータスクリストに従って、淡々と上から順番に作業をこなしているかのように、私たちは、ただ目の前のこと(本の中のこと)だけに集中できます。 閉じた世界です。 前提としてあるつながりしかし、その世界は閉じ切ってはいません。なぜなら、読み手がいる