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「天気の子」に対する違和感の違和感(5000字↑)|栗田由菜
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「天気の子」に対する違和感の違和感(5000字↑)|栗田由菜
この記事について、知人より「大人の責任」について批評してくれといわれたのでちょっと準備をして書い... この記事について、知人より「大人の責任」について批評してくれといわれたのでちょっと準備をして書いてみています。「天気の子」のネタバレもあるので注意してください(できるだけ配慮しているけど)。 批評とはなにかまず批評とはなにか。そこからスタートしなければいけない。そもそも批評について教えているという塾の講師の本を読んだが、結局「批評とはなにか」とは書いていなかった。そのあと1年ぐらいいろいろな批評について読んだが、だれも批評をした内容について論じるのに、批評とはなにかという前提がわからずにいたので対岸の火事を決めていました。 ところが、先日の「表現の不自由展」関連で内田樹先生のTweetをみた。 批評の重要な機能は「ある出来事そのものではなく、それが生起した(あるいは生起しなかった)文脈を可視化する」という存すると僕は思っています。安田さんの文化祭展示はまさに「すぐれて批評的なアイディア」だ