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戦争と競馬、天才騎手の運命。前田長吉が導いたクリフジ伝説。(島田明宏)
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戦争と競馬、天才騎手の運命。前田長吉が導いたクリフジ伝説。(島田明宏)
戦争に関するニュースが多くなるこの時期、ひとりの名騎手の存在が自然と思い出される。 最年少ダービー... 戦争に関するニュースが多くなるこの時期、ひとりの名騎手の存在が自然と思い出される。 最年少ダービージョッキーの前田長吉である。 前田は、1943(昭和18)年の日本ダービーを牝馬のクリフジで優勝。20歳3カ月の最年少ダービージョッキーになった。 しかし、翌1944年、臨時召集されて旧満州に出征。旧ソ連に抑留され、終戦翌年の1946年2月28日、シベリアの強制収容所で戦病死した。23歳になったばかりだった。 「競馬界の沢村栄治」と言える前田は、「戦争に奪われた才能」として語られることが多い。確かにその通りなのだが、実は、前田は戦争によって見いだされ、生かされた才能でもあったのだ。 それは、「競馬」というものが、いや、「馬」という生き物が、人類の歴史につねについて回る「戦争」と密接に関わってきたからでもあった――。 近代日本における馬匹改良のきっかけは戦争だった。 古来より馬は力の象徴であった