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「文部省」「軍部」 創成期の日本のアニメを支えた意外な顔ぶれ
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「文部省」「軍部」 創成期の日本のアニメを支えた意外な顔ぶれ
1917年に下川凹天、北山清太郎、幸内純一という3人のクリエイターが日本初の国産アニメーションを公開し... 1917年に下川凹天、北山清太郎、幸内純一という3人のクリエイターが日本初の国産アニメーションを公開し、今年は日本アニメが誕生して100年という記念すべき年にあたります。1917年の誕生から、日本のアニメーションは観客の好評をもって迎えられました。 特に歓迎したのが教育界です。犯罪映画の流行を問題視した文部省(現在の文部科学省)が、過激な内容の映画に規制をかける一方で「推薦映画制度」を作り、子供向けの映画づくりを推奨するようになったのです。それが子どもを最大の観客とする「漫画映画」の追い風となりました。授業の教材に漫画映画を使う学校もあり、日本のアニメーションの発展を大いに支えたと同時に、日本人に幼い頃からアニメーションに親しむ習慣を定着させたのです。 しかしその好調ぶりも長くは続きませんでした。1929年にディズニーが『蒸気船ウィリー』でトーキー(発声映画)をアニメーションに導入し、ミッ