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釈迦の無記と経典
まず、仏教で「記」という言葉は「いずれかに決定する」という意味です。だから「無記」というのは、「... まず、仏教で「記」という言葉は「いずれかに決定する」という意味です。だから「無記」というのは、「どちらとも決めない」という意味ですね。 例えば唯識で「無記」と言えば「善でも悪でもない」という意味ですし、「授記」と言えば「悟ったと断定する、証明する」という意味になります。 決して「書く、記録する」という意味でもないし、「答えない」のでもありません。実際に、お釈迦さん自身がはっきり「無記」という言葉を口にしているシーンが経典に幾つもあります。 ご質問の「無記」は、お釈迦さんが形而上的な内容の質問に対して「無記」と言った、つまり「その答えはどちらであるとも言わない」と言明した、というものです。 あちこちの経典に出てくるこの態度が次第に整理されて、十無記、十四無記、十六無記などと呼ばれるようになりました。 参考のために一番簡単な十無記を挙げると、 (1)世有常(この世は永遠か) (2)世無有常(こ