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水菜と鶏肉の吸物/だしを自分で取らないから料理が面白くならないのだ
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水菜と鶏肉の吸物/だしを自分で取らないから料理が面白くならないのだ
きのうは、水菜と鶏肉の吸物。 だしを自分で取らないから、料理が面白くならないのだ。 世の中には、隅... きのうは、水菜と鶏肉の吸物。 だしを自分で取らないから、料理が面白くならないのだ。 世の中には、隅っこの方でコチョコチョとしたことをやり、些細なことを他人と違えてみせることで、自分の存在感と居場所を確保しようと思う類のやつがいる。もちろんそれを全否定しようというわけではなく、本人がそれで居心地よく暮らせるなら、それはそれで悪くない。 しかし、自炊の場合には、そのやり方は通用しないのだ。 自炊は、自分で作って自分で食べる、一人だけの世界である。作った料理をだれも褒めてくれはしない。 褒められることを目的にしていると、自炊は張り合いがなさすぎて、続けていくことは困難だ。 自炊を続けていくためには、他人との比較ではなく、自分一人のところでモチベーションを維持していく必要がある。 それが何かといえば、最強なのは、「料理」という文化を学ぶことそのものの、喜びではないかと思う。 料理は、芸術や文学、音