エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
自分を幸せにできない人に、他者の幸福を語ることはできない。/アラン「幸福論」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
自分を幸せにできない人に、他者の幸福を語ることはできない。/アラン「幸福論」
幸せな人生を送る人は、人の痛みが分からないと揶揄されることがある。 単なる妬みというよりも、不幸や... 幸せな人生を送る人は、人の痛みが分からないと揶揄されることがある。 単なる妬みというよりも、不幸や悲しみの上にしか美徳は存在しない、 という奇妙な先入観に由縁するように思える。 三大幸福論と称されるうちのアランが書いた「幸福論」では、 そのあたりの世間の考えに一石を投じる一節がある。 「幸福を人にあたえるためには、自分の心のうちに幸福をもっていなければならない。」(89) 「わたしの意見によれば、自分固有の内的な幸福は、美徳に反するものではなく、むしろ、力を意味するこの美徳という美しいことばが示しているように、幸福それ自体が美徳なのである。」(89) 「なるほどたしかに、わたしたちは他人の幸福のことを考えねばならない。だが、わたしたちが自分を愛してくれる人たちのためになしうる最善のことは、やはり自分が幸福になることであるということは、じゅうぶんに言われていない。」(90) つまり自分自身が