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言語を超えて「言葉を向け合える」世界を(ロバート・キャンベル)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
原稿を依頼されたとき、戦後70周年に際して「あなたが国民と世界に向けてスピーチをするとしたら」とい... 原稿を依頼されたとき、戦後70周年に際して「あなたが国民と世界に向けてスピーチをするとしたら」というこの仮定法に、一瞬ひるみました。 スピーチは書けるだろうし、戦争と敗戦と占領期、主権回復から高度経済成長期にわたる歴史的過程についていろいろ考えることも感じることもあるけれど、さらに「国民と世界に向けて」を同時に日本語で書くことは、僕にとって至難の業です。 第一、ここで言っている「国民」とは、単なる「この国の市民」や「日本語話者」ではなく「国籍も人種的自己認識も、日本人」というタイトな限定が入るので、とうぜん、長く日本にいながらそれらとは別の立ち位置で物を言う(あるいは言うことを期待される)存在としてある僕が、「国民に向けて」何かを自然に言うことはない。自然に、が悪ければ「素直に」としましょう。 国民とか、我が国とか、いまもキーを打ちながら生成させているこの日本語が「国語」と呼ばれる、という
2015/09/30 リンク