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20年前に命を助けたばかりに…平清盛が死の間際まで「源頼朝を殺せ」と後悔したという逸話は史実なのか 「平家物語の創作にすぎない」という新説を考察する
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20年前に命を助けたばかりに…平清盛が死の間際まで「源頼朝を殺せ」と後悔したという逸話は史実なのか 「平家物語の創作にすぎない」という新説を考察する
源頼朝の斬首を取りやめた平清盛の誤算 平清盛は平治の乱で源義朝よしともを破った。義朝の嫡男である頼... 源頼朝の斬首を取りやめた平清盛の誤算 平清盛は平治の乱で源義朝よしともを破った。義朝の嫡男である頼朝は、若年とはいえ戦闘に参加しており、斬首の運命が待っていた。 ところが清盛の継母である池禅尼いけのぜんにが頼朝の助命を清盛に嘆願した。軍記物『平治物語』によると、頼朝が夭折した池禅尼の息子家盛に生き写しだったからだというが、古代学者の角田文衞つのだぶんえいが、より政治的な事情があったことを明らかにしている(『王朝の明暗』東京堂出版、1977年)。 頼朝の母の実家である熱田大宮司家は上西門院統子じょうさいもんとうし(後白河上皇の姉)に奉仕しており、頼朝も上西門院に仕えていた。池禅尼もまた上西門院と深い関係を有していた。頼朝の母方の縁者が上西門院を通じて池禅尼に働きかけたというのが角田の推定であり、これが今では通説となっている。 ともあれ清盛は頼朝の命を助け、伊豆への流罪に減刑した。これが将来の