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この時、芸に開眼した…失言で重職を追われた立川談志が、直後の高座で大笑いをさらった「伝説のあいさつ」 芸は「面白い面白くない」などではない
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なぜ落語家・立川談志は名人と呼ばれるのか。作家で落語立川流元顧問の吉川潮さんの著書『いまも談志の... なぜ落語家・立川談志は名人と呼ばれるのか。作家で落語立川流元顧問の吉川潮さんの著書『いまも談志の夢をみる』(光文社)より、国会議員時代の立川談志が「芸に開眼した」というエピソードを紹介する――。 笑点に対し談志が思っていたこと 68年になると、〈談志ひとり会〉開催は年4回に激減した。マスコミの仕事が忙しくなったからだ。テレビのレギュラー番組は『笑点』の他に2本、ラジオが1本、映画出演が4本と多忙を極めた。69年は6回開いた。 そして、11月に『笑点』を降板する。『金曜夜席』の頃のように、大人に受けるブラックジョークをやりたい談志に対し、放送時間が日曜夕方になったのだからそれは困る、と反対する他のメンバーやスタッフ、スポンサーと対立したのが原因と言われる。 降板以後、談志はスポンサーだったサントリーの商品を絶対飲まなかった。よほど腹に据えかね、根に持っていたのだろう。 自分が企画し、人気番組