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NHK大河ドラマは史実を無視しすぎている…信長の妹・お市の方が柴田勝家と再婚した本当の理由 秀吉に対抗して自ら嫁いだわけではない
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NHK大河ドラマは史実を無視しすぎている…信長の妹・お市の方が柴田勝家と再婚した本当の理由 秀吉に対抗して自ら嫁いだわけではない
織田信長の妹、お市の方とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「最初の夫である浅井長... 織田信長の妹、お市の方とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「最初の夫である浅井長政と死別した後に、柴田勝家と再婚した。どちらの婚姻も自らの意思で行ったものではなく、権力者の意向によるものだった」という――。 戦国時代の女性が担っていた重要な役割 戦国時代の女性、とりわけ大名の親族や縁者の地位は、思われているほど低くはなかったともいえる。豊臣秀吉の側室で、秀吉の死後、大坂城(大阪市)における主導権を握った浅井茶々、いわゆる淀殿のような例もある。 たしかに、嫁ぎ先では生家を代表して、事実上の外交をしなければならないことも多かった。それなりのプレゼンスを認められていなければ務まらなかった。 とはいえ、それは嫁いだのちのこと。戦国大名や国衆の娘は、ほとんど例外なく政略結婚の駒だった。隣国との安全保障を維持するための、事実上の人質とされたのである。 家臣の娘であっても主君に無断で結婚