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24年ぶりに商社トップに返り咲いた三井物産…100年以上前から"センスある社員"を抜擢してきた社風の強み 「人の三井」「組織の三菱」と言われる理由 (2ページ目)
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24年ぶりに商社トップに返り咲いた三井物産…100年以上前から"センスある社員"を抜擢してきた社風の強み ... 24年ぶりに商社トップに返り咲いた三井物産…100年以上前から"センスある社員"を抜擢してきた社風の強み 「人の三井」「組織の三菱」と言われる理由 ライバルの三菱商事とは何もかも真逆、設立経緯の違い 財閥系総合商社の雄といえば、三井物産の他にも三菱商事がある。ところが、両社は設立の経緯も、社風も全く違う。 三菱商事は、1918(大正7)年に巨大コングロマリット・三菱合資会社ごうしがいしゃの営業部を分離して設立された。営業部の前身は売炭ばいたん部といって、三菱の鉱業部門(のちの三菱鉱業、現・三菱マテリアル)が生産した鉱産物を売買する目的で設立された。 ちなみに、三井財閥では、三井物産が官営三池炭礦たんこうの石炭の販売で利益を上げていたので、三池炭礦が民間に払い下げられる際に競り落とした。三池炭礦はのちに三井鉱山(現・日本コークス工業)になっている。つまり、三菱ではメーカーが主で商社が従だった