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亡国のイージス - 伊藤計劃:第弐位相
亡国のイージスは危険な映画である。 というよりもギリギリの映画であると言ったほうがいいのかもしれな... 亡国のイージスは危険な映画である。 というよりもギリギリの映画であると言ったほうがいいのかもしれない。どのへんがギリギリかというと、「よく見ろ日本人、これが戦争だ」という台詞でも、先守防衛について語る寺尾聰でもないし、右とか左とかいった政治的な舵取りの話でもない。 この映画の何がギリギリか。それは「亡国の盾」なる論文だ。 その論文自体は、実は論文というよりは社会科の感想文に近いものではあるが、それは重要ではない。重要なのは、この論文が語られるとき、そこに何が映し出されていたか、いや、そこに何が映し出されていなかったか、である。 よく見ろ、日本人。これが亡国だ。 そう、この映画にとって亡国とは秋葉原であった。いまや「電車男」「Aボーイ」などと世間の持ち上げ激しい秋葉原であるが、この映画が「亡国」として映し出したのは、ほかならぬその秋葉原であった。歌舞伎町でも渋谷でもなく、秋葉原なのだ。画面に