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レベッカが“国産ロック”にもたらしたもの 市川哲史が再結成ライブから振り返る
とまあウィキ的に書けばこんな感じになるのだろうが、私個人にとってレベッカとは音楽評論家人生の大き... とまあウィキ的に書けばこんな感じになるのだろうが、私個人にとってレベッカとは音楽評論家人生の大きな転機となったバンドだったりする。実は。 大学浪人時代のたしか1980年か、『ロッキングオン』誌への投稿から音楽評論を書き始めたと思う。死滅する脳細胞(失笑)。当時はYMOやプラスティックスなど、テクノ/ニューウェイヴ系のお洒落連動型ロックが日本でも芽生えてはいたものの、やっぱ基本というか世の趨勢は洋楽ロック。私のフィールドも当然洋楽で、リスナーもメディアもレーべルもそしてミュージシャン自身も、自覚のあるなしにかかわらず<洋楽コンプレックス>を抱えていた時代だったはずだ。 たぶん1985年、私は名古屋で大学を卒業するとそのまま、市内の某広告代理店に就職した。教員採用の一次試験に合格してあとは二次の面接だけだったのに、受験し忘れやむなく代理店にコピーライターとして緊急入社したのだ。ところがそこは「
2016/06/01 リンク