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映画は人類史における一大犯罪をどう描くべきか? 『サウルの息子』の演出が投げかける問い
磨りガラスごしのような、ピントの合わない強くぼやけた風景。そのなかでぼんやり動く影が、こちらに近... 磨りガラスごしのような、ピントの合わない強くぼやけた風景。そのなかでぼんやり動く影が、こちらに近づいてくる。それがどうやら男だと分かり、この映像を写しているカメラのそばまでやって来て、その顔にピントが合わさり像をむすんだところで、彼を主人公にした物語が始まる。本作『サウルの息子』では、この珍しいオープニングの演出から、すでに作り手の主張が始まっている。これだけでなく、この作品ではいくつもの特異な演出的手法が数多く使用されている。そのひとつひとつを見ながら、「映画表現とは何か」という根源的な問いを引き起こす『サウルの息子』という作品の本質に迫っていきたい。 人間の眼は現実の風景を見るとき、自分の見たいものに、ほぼ自在に焦点を合わせることができる。だがすでにカメラによって撮られた映像作品を見るときは、それを半ば「強制的に」決められてしまう。どんなに目を凝らしたところで、ぼやけている映像はぼやけ
2016/08/05 リンク