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ベルイマン映画に重なる“交わらない視線” 『ラブレス』が提示する、映画の残酷さと凄絶さ
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ベルイマン映画に重なる“交わらない視線” 『ラブレス』が提示する、映画の残酷さと凄絶さ
ベルイマン映画の苛酷さとは、一組の男女が面と向かって対峙(いや、必ずしも男女でなくてもいい、それ... ベルイマン映画の苛酷さとは、一組の男女が面と向かって対峙(いや、必ずしも男女でなくてもいい、それが『第七の封印』のように十字軍騎士と死神のチェス勝負でもいい)し、それがカットバックしているにもかかわらず、メロドラマとして成立することがあらかじめ禁じられている点にある。カットバックとは交わる視線であるはずなのに、たがいの視線がまるで平行にどこまでも交わらないかのようだ。『ラブレス』の離婚訴訟中の夫婦もベルイマン的な平行視線の中にいる。この冷酷な平行ぶりを目のあたりにして、私たち観客は叫びたくなる。「いったいこの連中は、はたして人間なのか?」と。 これに比して、民間ボランティアの児童捜索隊の、無私の集中ぶりは何なのだろう? ここにこそ人間の善意の物言わぬ実現がある、ということだろうか? これほど冷酷で凄絶な悲劇はないにもかかわらず、捜索隊が手つかずの森の中で数百メートルにおよぶ横一列を形成して