エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか? - 左巻健男&理科の探検’s blog
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか? - 左巻健男&理科の探検’s blog
寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか?が拙編著『素顔の科学誌』東京書籍にある。 隅蔵さん執筆... 寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか?が拙編著『素顔の科学誌』東京書籍にある。 隅蔵さん執筆。 寺田の著作のどこにもない。 実は弟子中谷宇吉郎の勘違いがこの言葉を寺田のものとして定着させた。 「天災と国防」という随筆の中には、「天災はきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになる」という表現で同趣のことが書かれている。 寺田の没後の昭和15年頃、新聞に依頼されて書いた「天災」という短文の中で、中谷は「『天災は忘れた頃来る』という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言である」と書いた。 このとき中谷は、この言葉が寺田の書いたものの中にあるものと思いこんでいたそうだ。 その後、「天災は忘れた頃来る」は各所で引用されるようになった。 のちに戦争中、朝日新聞が一日一訓なる出版物を編集。 9月1日の分として「天災は忘れた頃来る」が採用されること