エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
1975年にあった山田宏一と南部圭之助の論争って何?(調査中) - 砂手紙のなりゆきブログ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
1975年にあった山田宏一と南部圭之助の論争って何?(調査中) - 砂手紙のなりゆきブログ
山田宏一は次のように『映画は語る』(1999年、中央公論新社)で語っています。P480 『(淀川長治氏とは... 山田宏一は次のように『映画は語る』(1999年、中央公論新社)で語っています。P480 『(淀川長治氏とはじめてお話をした)それから二年後の一九七五年、私はつまらぬことで、戦前からの映画評論家の大長老だった南部圭之助大先生の逆鱗に触れ、どなられ、いびられ、ののしられ、それでも私が頑強に抵抗したために、愚劣な論争になった。』 どんな論争だったのか、そんなものはネットで調べればすぐにわかるだろうと思ったんだけど、全然わからない。 当時のキネマ旬報とか見ればわかるんだろうけど、それが見られるようになるにはちょっと時間がかかるし(面倒くさい)、40年前の事件を今すぐ知らなければならないということもないので、山田宏一の他の本でも読みながら、ヒントを探してみます。 すこし気にはなるので、この件に関してご存知の人がいたら教えてください。