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明治24年1月20日、国会議事堂焼失の顛末とは?
現在の国会議事堂が建設されるまで、仮議場は2度火災に遭い焼失しています。第1回の大火災は、日本に議... 現在の国会議事堂が建設されるまで、仮議場は2度火災に遭い焼失しています。第1回の大火災は、日本に議会が開設された明治23年(1890年)の翌年、明治24年に起こります。火災の原因は、議場内に配された電気装置からの漏電でした。 伊藤博文が現場に駆けつけ陣頭指揮 明治24年1月20日、当日の議事を終えると、各議員、職員ともに帰宅し、国会議事堂に残るのは守衛のみとなりました。 午前0時40分ころ、衆議院守衛部に詰めていた守衛の佐藤澤氏が、衆議院内を巡視中、院内から異臭が発生していることに気が付きます。 なにか様子がおかしいとは思ったものの、最初の頃は気にもとめずに巡視を続けていましたが、資格審議委員室の前に到着すると、異臭はますます強くなり、これはただごとではないと感じ始めます。 あたりを見回し、天井を見上げたところ、廊下天井の隅に設置されていた配電盤から、電灯の電線を伝って、まるで蛍火のような