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『昭和初期の宝塚歌劇団とその時代(32)あとがき』
写真は小夜福子さん。本文とは関係ありません。 「丸帽を膝の上にキチンとのせ、背筋を伸ばして座ってい... 写真は小夜福子さん。本文とは関係ありません。 「丸帽を膝の上にキチンとのせ、背筋を伸ばして座っている姿は、とてもステキで憧れだった」 という母の言葉を思い出したのが、この連載ブログを始めるきっかけであった。 その劇場って何処なんだろうか? 宝塚歌劇団の資料があるから・・・東京宝塚劇場?・・・ でも、コアファンは女性だろうし・・・ 答えは意外と簡単に、葦原邦子さんの著書の中に見つけられました。 <東京の秋の舞台で面白いのは早慶戦のある土曜日の昼だけががらがらなのです。その日は親しいファンやお嬢さんたちが大勢で客席に陣取って応援してくれます。> (葦原邦子『我が青春の宝塚』) 当時は、熱烈な男性ファンもいたし、歌舞伎界の若き御曹司のお歴々が宝塚ファンであったそうです。 さて、宝塚少女歌劇団の資料を調べて始めて驚いた。 昭和12年11月が最も古いものだが、最初の演目が『軍国レビュー「南京爆撃隊」