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「為時は清廉なのか、変わり者なのか?」砂金進上の場面で平安時代を読み解く【光る君へ 満喫リポート】22 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - Part 2
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「為時は清廉なのか、変わり者なのか?」砂金進上の場面で平安時代を読み解く【光る君へ 満喫リポート】... 「為時は清廉なのか、変わり者なのか?」砂金進上の場面で平安時代を読み解く【光る君へ 満喫リポート】22 為時はやっぱり世渡り下手? I:国府では源光雅が新任国司の為時に対して砂金を進上しようとします。それを為時は毅然として拒否します。為時の清廉さを強調する場面のようなのですが……。 A:現代的な感覚では、賄賂のようなものを受け取らない為時は偉い! ということになるのでしょうが、当時は成功(じょうごう)という金銭を納めたり自己負担で事業をさせることで官職が与えられる制度がありましたから、日常的な作法だったと思われます。ですから、この場面は「清廉な為時」というよりも「変わり者の為時」あるいは「偏屈な為時」を表現しているのかなと思ったりしました。 I:父親の官職が娘の縁談を左右する時代ですから、まひろの結婚適齢期に為時が散位(無職)だったのはまひろの人生にとって痛手でしたね。為時を見てそう思いま