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1809年4月、ナポレオンがレーゲンスブルクに来た日|世界遺産の街でナポレオンの戦いの足跡を辿る | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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1809年4月、ナポレオンがレーゲンスブルクに来た日|世界遺産の街でナポレオンの戦いの足跡を辿る | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
文・写真/吉村美佳(海外書き人クラブ/ドイツ在住ライター) 舞台はドイツ・バイエルン州にあるレーゲ... 文・写真/吉村美佳(海外書き人クラブ/ドイツ在住ライター) 舞台はドイツ・バイエルン州にあるレーゲンスブルク。2000年の歴史を持つ中世の町並みが残るこの町は、かつてはドナウの水運を利用し遠隔貿易で栄えた。1806年までバイエルンから独立した自由都市であり、神聖ローマ帝国の中心地でもあった。 旧市街内には今でも960もの重要文化財があり、その周辺を含めると1000を超すとも言われる。掘り起こせば考古学者が喜ぶほど、あちらこちらの地下には貴重な遺跡が今も残っている。そんな歴史ある町を大きく様変わりさせた戦争が、ここに紹介する1809年4月19日から23日まで、レーゲンスブルクとその周辺で繰り広げられた「レーゲンスブルクの戦い」であった。これは第五次オーストリア戦役(第五次対仏戦争)の一部で、レーゲンスブルク側に立つのはフランス、バイエルンとライン同盟、そして敵はオーストリアである。 ナポレオ