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京都小倉山・常寂光寺|古の歌人たちが愛した寺で情緒薫る散策を楽しむ【京都、初夏の新緑散歩】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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取材・文/末原美裕 牡鹿なく小倉の山の裾近みただひとりすむわが心かな (『山家集』上、秋歌) 西行法師... 取材・文/末原美裕 牡鹿なく小倉の山の裾近みただひとりすむわが心かな (『山家集』上、秋歌) 西行法師が小倉山で残した歌で、「牝鹿が鳴く小倉の山裾近くにただ独り住んでいると、世の中の煩わしいことにとらわれることもなく、我が心は澄んでいくものだ」、という悟りの境地を開いたかのような気持ちが綴られています。 この他にも、百人一首で広く知られている小倉山には、多くの和歌が残されています。 平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名でした。特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。 そして後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してからは、嵐山は桜の名所、小倉山は紅葉と鹿の名所