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寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府
嘉永6年6月3日(1853年7月)、ペリーが米大統領フィルモアの親書を携え、艦隊を率いて浦賀に姿を現わして... 嘉永6年6月3日(1853年7月)、ペリーが米大統領フィルモアの親書を携え、艦隊を率いて浦賀に姿を現わしてから1年半が経過した安政元年12月23日(西暦1854年1月)に、こんな太政官符が出ている事が、羽根田文明氏の『仏教遭難史論』に紹介されている。 「それ外寇事情は、固より深く、宸襟を悩ませらるる*ところなり。…国家の急務、ただ海防にあり。よって諸国寺院の梵鐘を以て、大砲、小銃を鋳造し、海内枢要の地に置き、不慮に備えんと欲す。速やかに諸国寺院に令し、各時勢を存じ、本寺の外、古来の名器、及び報時の鐘を除き、其の他は悉く、大砲に鋳換え、皇国擁護の器と為すべし。…」 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983346/23 *宸襟を悩ませらるる:天皇陛下の御心を悩ます。当時の天皇は攘夷派の孝明天皇(在位:1846~1867)であった。 この「毀鐘鋳砲(き
2017/12/03 リンク