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星の街仙台~伊達政宗が隠した無形の文化遺産
山上幽峰 2010年1月16日(日)、この日私は’親方’に連れられ、宮城県北部の松山町にある石雲寺に行った... 山上幽峰 2010年1月16日(日)、この日私は’親方’に連れられ、宮城県北部の松山町にある石雲寺に行った。ここには、片倉小十郎景綱、伊達成実とともに「伊達の三傑」と称される茂庭綱元の茂庭家霊屋があり、年に2回ご開帳されるうちの冬の一日だった。 伊達政宗公の右腕として伊達家の内政を支え、政宗公の死後その冥福を祈り続けた綱元は、政宗公の命日(5/24)と同月日にこの世を去った。享年92歳。 それまでの私は、歴史に興味も知識も皆無で、茂庭綱元が何者なのかも全く知らなかった。なによりもまず、親方とはメールやドライブをする仲ではけっしてなかったし、年が明けて間もないある日突然の’お誘い’に何事かととまどった。が、この日久々の小春日和ですばらしい青空だったこと、霊屋を撮影してくれと頼まれたことで、お供することにしたのだった。 以下点線-------で囲まれる部分は本来画像が入ります。 -------