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「理性」と「レトリック」――ホッブス、スピノザ(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
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「理性」と「レトリック」――ホッブス、スピノザ(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
承前*1 柴田寿子「古典をめぐる思想史学の冒険」(『未来』499、2008)からの抜書き。3回目。 そして政... 承前*1 柴田寿子「古典をめぐる思想史学の冒険」(『未来』499、2008)からの抜書き。3回目。 そして政治理論と政治思想史の方法の相違は、スキナーが論じた「理性」と「レトリック」の違いとして考えることができる(Reason and Rhetoric in the Philosophy of Hobbes, 1996)。ホッブスは、一方では事実の明確な知覚と名の付与、そして明晰判明な定義から推論を重ねることによって、国家について無時間的な科学知(理性)を構成し、そうした合理的(功利的)で技術的な認識(理性)による制作可能な社会的次元を設定した。同時に彼は、国家の繁栄・内乱・滅亡の一連のプロセスを目撃した人が他の国をみて類似性を推測するような、アリストテレスのレトリックの伝統を汲む慎慮(prudens)による認識が、歴史書の読解なしにはありえないことを強調し、ヘロドトスのペルシア戦争史から