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つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを – 砂子屋書房 一首鑑賞
在原業平『古今和歌集』巻16哀傷歌861(905年) 『伊勢物語』は、この一首で終わる。「昔、男、わづ... 在原業平『古今和歌集』巻16哀傷歌861(905年) 『伊勢物語』は、この一首で終わる。「昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ」、気持ちが、いまにも死んでしまいそうに感じられたので、この歌を詠んだのだという。この前段には人生の終末を予感したかのごとき孤独の表明がある。 思ふこと言はでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ 心の内に思うことは口に出さず心に封じ込めておくのがよい。自分が感動したからと言って、同じように感動してくれるとは限らないのだから。そうした老いの孤独が、次の段の死への思いへと繋がっている。 最後に誰もがゆく道であるとは、以前から知っていたけれど、それが昨日今日のこととは思ってもいなかった。 私はこの歌を読むと、次の『徒然草』155段を思い出す。 死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと
2024/04/26 リンク