エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
海図の歴史と基礎/尖閣、竹島の測量図 | 探検コム
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
海図の歴史と基礎/尖閣、竹島の測量図 | 探検コム
まずは下の絵を見てください。 1853年、日本にやってきたペリーの乗組員たちです。場所は浦賀。風光明媚... まずは下の絵を見てください。 1853年、日本にやってきたペリーの乗組員たちです。場所は浦賀。風光明媚な風景の中で、何となく楽しそうにも見えますが、いったいこの連中は何をしているのか? 左手の男は、なにやらロープを海に投げている。この重り(鉛?)を付けたロープで、実は海の深さを測っているんですね。 そして、右手には望遠鏡を覗いた男がいます。もしこれが望遠鏡ではなく、経緯儀(けいいぎ)だとしたら、角度を測ってることになります。目標物との角度を測定することで、現在地が特定できるんですね。 つまり、この絵は、浦賀の海のあちこちで水深を測ってるところ。要は海図の作成です。 こうしてできた海図がこちら。 測量地点を見ると、江戸近辺までは到達してませんが、少なくとも横浜沖はほぼ完全に測定されています。ペリーはこの海図を元に、翌年、巨大な軍艦を横浜沖まで入港させ、幕府との交渉を開始し、日米和親条約の調印