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戦国時代の侍は1日6合食べていた!? 縄文から現代までの「日本の糖質史」 | Tarzan Web(ターザンウェブ)
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戦国時代の侍は1日6合食べていた!? 縄文から現代までの「日本の糖質史」 | Tarzan Web(ターザンウェブ)
縄文・弥生時代 稲作前に日本で食べられていた糖質。 日本人は、摂取エネルギーの約40%を糖質主体の穀... 縄文・弥生時代 稲作前に日本で食べられていた糖質。 日本人は、摂取エネルギーの約40%を糖質主体の穀類から摂っている。その主役は米だが、日本人が初めに口にした糖質はおそらく米ではない。話の始まりは、縄文時代。いまから約1万5000年ほど遡り、2400年ほど前まで1万年以上続いた。 縄文=狩猟採集の時代というイメージが強いけれど、昨今の研究ではすでに原始的な農耕が局地的に行われていたという説が有力になっている。縄文前期の鳥浜貝塚(福井県)では、中国大陸から渡来したと思われる小豆、エゴマ、緑豆、ヒョウタンなどの作物を栽培していた痕跡が見つかる。これらの作物からはいずれも糖質が採れる。 その縄文時代が終わりに近づくと、氷河期が終わって温暖化が進む。氷河が解け、海水面が上昇して、日本は四方を海で囲まれた現在のような島国となる。21世紀に入ると温暖化は諸悪の根源のようにディスられているが、縄文時代に