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一期の堺ここなりと、生涯にかけて@風姿花伝 - 地下生活者の手遊び
昨日のエントリの続き 「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」という風姿花伝における奥義が何... 昨日のエントリの続き 「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」という風姿花伝における奥義が何を意味しているのかというと、芸道の獲得目標たる「花」とは、観客にとって見て「面白き」ことであり、それはつまり「珍しき」こと、つまり希少性、さらに言えば「個性」を指していることなのではにゃーだろうか。 それでは「時分の花」が失われ、そしてもう一度「時分の花」が得られるまでを追ってみますにゃ。 十七、八 十七、八より(抜粋) このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ、声変わりぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎしころの声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変わりぬれば、気を失ふ。結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。このころの稽古には、ただ指をさして人に笑わるるとも、それをば顧みず、内に
2008/07/08 リンク