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いつの世も引き金の口火を切るのは口なのか - 日日平安part2
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いつの世も引き金の口火を切るのは口なのか - 日日平安part2
「口がきれい」という言葉には、ふたとおりの意味がある。口先だけでりっぱなことや、きれいごとを言う... 「口がきれい」という言葉には、ふたとおりの意味がある。口先だけでりっぱなことや、きれいごとを言うさま。もうひとつが、食べ物にいやしくないさま、である。 後者の意味で、私は口がきれいと言われたことがある。人前で食べる姿を晒したくないため、食べ物に執着することがほとんどないからだ。 しかし、お酒に関しては意地汚いという自覚がある。まさに「口が卑しい」という言葉が当てはまる。 最近は知らないが、バブル期のグルメブームには「口が奢っている」人たちが多かった。食べ物に贅沢でうまい物しか食べない。そして「口寂しい」と思えば、何か口に入れるものが欲しくなる。 脂と糖分で鍛えたそのからだは、今頃になって“現代病”というツケが回ってきそうだ。 「昔ながらの粗(素)食がなによりのごちそう」と、気が付いたとき“あとの祭り”ということにならなければいいのだが。 「口がうまい」人は蔓延している。巧みな話し方を駆使し