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そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び
百貨店の「独立法人化」によって急速拡大を実現 そごうの創業は1830年、26歳の十合伊兵衛氏が大阪で立ち... 百貨店の「独立法人化」によって急速拡大を実現 そごうの創業は1830年、26歳の十合伊兵衛氏が大阪で立ち上げた「大和屋」という古着屋にさかのぼります。商売人としての才覚あふれる2代目の伊兵衛氏が、古着屋から呉服屋に業態を転換させ、西南戦争の軍需景気の波に乗り、大成功を収めます。その後「十合呉服店」に屋号を改め、心斎橋、神戸に出店。1919年には株式会社十合呉服店として、本格的にデパート業に参入し、今日のそごうの原型が形作られました。 デパートを運営していくためにはハコモノをつねに改装していく宿命にあります。しかし、十合は1935年、昭和恐慌のあおりを食って改装の工事資金に行き詰まってしまいます。十合一族は、資金獲得のため、北海道財閥の板谷宮吉氏に持ち株の過半数の譲渡し、経営から身を引くことになりました。 戦後、十合本店はアメリカ進駐軍に7年間もの長きにわたり接収され、大丸など競合の百貨店に
2020/01/04 リンク