![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/52dd51316354a2badf991aabc4587569faec0076/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fd%2F2%2F1200w%2Fimg_d2e9d23187ac3034841a8a36e1a08f6d116128.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント3件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
撃墜王リヒトホーフェンは何がスゴかったのか
機体を赤く塗る 「たいした理由があったのではないが、ある晴れた日に、わが愛機を派手な赤に塗ろうと思... 機体を赤く塗る 「たいした理由があったのではないが、ある晴れた日に、わが愛機を派手な赤に塗ろうと思いついた。わたしの赤い飛行機が無条件にだれの印象にも残るようになったので、これは大成功だった。じっさいに、わが愛機は敵側の眼にも留まらずにはいなかったようだ」 ドイツの撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(1892~1918)の自伝は、赤い機体の由来をこのように記す。最初に赤く塗られた日は、1916年12月28日あるいは1917年1月20日とされている。これ以後、彼の飛行隊はすべての機体が赤く塗装されるようになる。 ここで問題となるのは機種だが、おそらくはこの時期のオズヴァルト・ベルケ(1891~1916)戦闘機中隊の主力である単座複葉機アルバトロスD.ⅡかD.Ⅲだと思われる。というのも、マンフレートが搭乗した機体でもっとも有名な三葉戦闘機フォッカーDr.Ⅰはいまだ開発されておらず、こ
2022/02/10 リンク