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外様大名・細川親子の情報活用術|知恵泉
かつて日本一の巨大組織だった徳川幕府。江戸城には権力を持つ官僚がひしめく一方、遠く離れた地方を治... かつて日本一の巨大組織だった徳川幕府。江戸城には権力を持つ官僚がひしめく一方、遠く離れた地方を治めたのが外様大名です。 仮に幕府を巨大なグループ企業の東京本社とすれば、外様大名は地方の子会社の社長のようなもの。その多くは元々徳川家と天下を争ったライバルでしたが、関ヶ原の戦い以降、徳川グループの傘下に入った人々です。いわば外様大名はライバル企業に吸収合併された弱い立場。本社・徳川幕府からは何かと睨まれ、少しでも機嫌を損ねればすぐに解任です。 そんな厳しい環境にあって、組織の情報を巧みに活用することで見事生き残った大名親子がいました。九州細川家の初代藩主・細川忠興(ほそかわただおき)と2代目・細川忠利(ほそかわただとし)です。 彼らが活用したのは親子でやりとりした膨大な手紙。残っているだけで3000通もあります。本拠地の九州や出張先の江戸で入手した幕府の内部情報を親子で共有し、生き残り戦略にい