エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
劣等感の補償としての日本人論はいらない―『「日本らしさ」の再発見』 浜口 恵俊 | 考えるための書評集
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
劣等感の補償としての日本人論はいらない―『「日本らしさ」の再発見』 浜口 恵俊 | 考えるための書評集
山岸俊男の『心でっかちの日本人』を読んで、日本人は集団主義ではなかったという説を知って、あらため... 山岸俊男の『心でっかちの日本人』を読んで、日本人は集団主義ではなかったという説を知って、あらためて集団主義について考えたくなったから、この本を読んだのだけど、完全に失敗。 この本は77年に出た「日本人論ブーム」のころの著作で、問題意識がまったく違う。このころの日本人論ブームというのはアメリカや西欧に遅れた日本人の劣等感の補償や克服というテーマが最大の探究エネルギーであったと思う。そういうルサンチマンの著作や時代のものをいま読んでも意味はないと思う。 70年代ころに中根千枝の『タテ社会の人間関係』や土居健郎『「甘え」の構造』、木村敏『人と人との間』、公文俊平らの『文明としてのイエ社会』といった著作がブームになっていた。ルース・ベネディクトの『菊と刀』において罪の文化と恥の文化の対比で、日本文化が蔑視されていたから、その克服と補償が大きなテーマになっていた。でもいまはそんな問題意識をほりおこす