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文化大革命の嵐の中で、命がけで孫に論語を教えた祖父の話
<<評論家の石平(せき・へい)氏は近著『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』にて、多くの... <<評論家の石平(せき・へい)氏は近著『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』にて、多くの日本人が常識だと考える「論語=儒教」に対して、疑問を呈している。 自身が幼少の頃に、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接し、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱くようになったのだという。 ここではその石平氏の幼少の頃の「論語」体験を語った一節を同書より紹介する。>> ※本稿は石平著『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。 文化大革命の嵐の中も、平和に暮らしていた石平少年 中国生まれの私が『論語』と出会ったのは、例の「文化大革命」の嵐が中国大陸を吹き荒れていた最中のことであった。 私の出身地は中国・四川省の成都市、両親は二人とも大学の教師である。しかし1966年、私が4歳のときに「文化大革命」が始まると、両親は大学から追い出されて
2019/04/11 リンク