エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ラーベの報告書(1) - 15年戦争資料 @wiki
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ラーベの報告書(1) - 15年戦争資料 @wiki
季刊戦争責任研究 第16号(1997年夏季号) p38~54 南京事件・ラーベ報告書 片岡哲史訳(かたおか・てつし... 季刊戦争責任研究 第16号(1997年夏季号) p38~54 南京事件・ラーベ報告書 片岡哲史訳(かたおか・てつし/駿河台大学教授) 《小見出し》は原文にはなく採録にあたって付けたものです。 ジョン・ラーベ(John Rabe)は一八八二年生まれのハンブルクの商人で、一九〇六年に中国に渡り、一九三一年からドイツの電機工業コンツェルン、ジーメンス社の駐在員となった。日中戦争が全面化し、当時の中国の首都、南京を日本軍が占領した一九三七年一二月には南京に駐在した。当時南京にいた外国人の多くは日本軍の接近とともに避難したが、数十名の人々は危険を覚悟で南京に踏みとどまり、結果として南京事件の渦中に巻き込まれ、日本軍の南京攻略・占領にともなう種々の残虐行為の目撃者となった(詳細は笠原十九司『南京難民区の百日』岩波書店参照)。ラーベもその一人であり、他の残留外国人と協力して市民を戦火から守るために南京安