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いちごの“つぶつぶ”は種ではなかった? 驚きの正体とは
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いちごの“つぶつぶ”は種ではなかった? 驚きの正体とは
そろそろ旬の時季も終盤に入ったいちご。好きな果物のトップランクに必ず挙がるいちごは、江戸時代末期... そろそろ旬の時季も終盤に入ったいちご。好きな果物のトップランクに必ず挙がるいちごは、江戸時代末期の1830年から1840年頃にオランダから日本に伝来し、その後品種改良・育成が進められて、現在では冬から春にかけて店頭に並ばない日はないものとなりました。 しかしこのいちご、実はその構造は案外知られていないようです。千葉県香取郡神崎町でいちご栽培を手がける星野律子さんに伺いました。 「いちごの花には『雌しべ』が100以上あります。この雌しべがそれぞれ受粉すると、雌しべが生えている土台である『花托(かたく)』という部分が大きくふくらんで、後に赤く色づきます。これがいちごの可食部分です。 つまり、いちごの『果実』と思われている部分は、このふくらんだ花托で、花托の周りにある小さなつぶつぶが痩果(そうか)と呼ばれる果実なのです。花托の表面に果実がびっしりついて、この一つ一つに種になる胚珠(はいしゅ)が入