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「いま」と出会い直すための精神分析講義 - たとえそれを忘れても――フロイトと「歴史的真理」 | ウェブマガジン「あき地」
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ラカンの「デカルトへの回帰」――私たちは前回、ラカンの精神分析と哲学との関係について考えるための糸... ラカンの「デカルトへの回帰」――私たちは前回、ラカンの精神分析と哲学との関係について考えるための糸口として、このテーマに手を着けたのだった。この「回帰」の要点は、なによりも、真理の問いと狂気の問いが切り離せない、ということにある。本当に確かなもの以外、どんな感覚も知識も誤りとみなしてすべて捨ててしまうという大胆な方法「誇張的懐疑」。デカルトは早くも最初の省察で、自身のこの方法が狂気と紙一重だという事態に直面した。前回の議論を振り返りながら、もう少しデカルトの理路を辿っておこう。 よく知られているように、デカルトは、懐疑が必要となる理由のひとつとして、現実と夢が混同されるケースがあるということを挙げている。例えば、私はいま神保町の喫茶店にいて、窓を濡らす雨を横目に、やたらと濃くて熱いコーヒーを飲みながらこの文章を書いている。デカルトにいわせれば、この経験的「事実」は、じつは私がいま思っている