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殺人風土記 - 戦争と殺人 | ウェブマガジン「あき地」
「終戦後は何と言っても食糧が女の心を一番動かしました。私はそれを利用したのです」 戦後の食糧難の時... 「終戦後は何と言っても食糧が女の心を一番動かしました。私はそれを利用したのです」 戦後の食糧難の時代、七人の女性を食糧が手に入るという言葉で栃木県や都内の人気のない山林へと誘い出し、次々と強姦して殺害した小平義雄の言葉である。 小平が犯行に手を染めたのは、昭和二〇年五月から昭和二一年八月にかけてのこと。明るみに出た犯行以外にも、三十件以上の余罪があるとも言われ、実際どれだけの罪を犯したのかは、すでに刑場の露と消えた小平のみが知り、闇の中である。 昭和二〇年八月一五日の終戦前から食糧は欠乏し、都市に暮らす人々は、着物や時計など食糧と交換できるものを持って、郊外の農村地帯へと食糧の買い出しに出かけることが、日常風景となっていた。買い出しばかりでなく、米軍キャンプなどから出た残飯が闇市で売られた時代でもあった。 血眼になって食糧を求めた人々の群れの中から、目星しい女を見つけては、小平は声を掛けて
2018/11/13 リンク