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「Aを批判するものは、Bも批判すべし」論法の意味すること
ネット左派の「疑似科学を批判すべきならば、優生学も批判すべし」と言う議論からの展開だと思うが、「A... ネット左派の「疑似科学を批判すべきならば、優生学も批判すべし」と言う議論からの展開だと思うが、「Aを批判する者は、Bも批判すべし」などと言う主張をする人を、「そもそも何を批判したいかわからない」「人格としては信用しない」と主張している人がいる*1。婉曲的な表現ではあるが、大抵のケースではそう不明瞭な主張ではないので指摘したい。大抵のケースでは「Aを批判する者は場当たりな道徳判断をしている」と主張していると捉えることができる。 Aを批判すると言う行為は、Aが規範に照らし合わせて問題があると言う判断を下していることを含意している。BがAと同様の性質を持つのであれば、Bも規範に照らし合わせて問題があると判断を下せるはずだ。Aを批判している者が、Aは問題だがBは無問題だと考えるとき、AとBは異なる性質を持つか、批判者の規範に普遍性が無いことになる。元の議論で言えば、疑似科学と優生学の違いが示されな
2016/12/01 リンク