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俺たち足軽、夢は次の秀吉様 水がないなら梅干し戦術:朝日新聞デジタル
明智光秀が主君・織田信長を討った「本能寺の変」。日本史に残るクーデターが起きたとき、今の岡山市に... 明智光秀が主君・織田信長を討った「本能寺の変」。日本史に残るクーデターが起きたとき、今の岡山市にいた羽柴(豊臣)秀吉の軍勢は急いで京都へ移動し、光秀軍を破った。いわゆる「中国大返(おおがえ)し」。その軍勢の大半を占めていたはずの足軽たちの戦いぶりや考え方はどんなものだったのだろうか。専門家への取材や資料を参考に、足軽2人への「インタビュー」形式で再現を試みた。 ――あれ、足軽2人が言い争いをしているぞ…… 足軽A おぬし鉄砲は? 足軽B 重いからちょっとそこへ置いてるよ。 足軽A 休憩時こそ念入りに筒の中を掃除しろ。敵はいつ来るかわからんぞ。 足軽B 相変わらず意識高いなぁ。ほっとけよ。 ――あちこちで人がへたりこんでいますが…… 足軽A ひと月以上前の4月下旬から、毛利方の武将・清水宗治(しみずむねはる)の備中高松城(現在の岡山市)を攻めていたんだ。講和が成ったとたんに突然、転進命令が下
2019/01/08 リンク