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ネット文化発のfhánaが今、「他者に出会う」と繰り返し語る理由 | CINRA
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ネット文化発のfhánaが今、「他者に出会う」と繰り返し語る理由 | CINRA
fhánaの3rdアルバム『World Atlas』は、もしかしたら、これまでの彼らのアルバムのなかで最も「小さなア... fhánaの3rdアルバム『World Atlas』は、もしかしたら、これまでの彼らのアルバムのなかで最も「小さなアルバム」と言うことができるかもしれない。 ここで言う「小ささ」とは、もちろん作品の音楽的な質や、描かれている物語の濃度を指すのではない。では、なにが「小さい」のか? それは、「君と僕」という、この作品に通底して流れる視点そのものが「小さい」のだ。 このアルバムに描かれる「僕」と「私」というふたつの主体は、それぞれがそれぞれの地図を持ち、それぞれの記憶と、約束と、願いと、人生を抱きしめながら、ただ、彷徨い続ける。このアルバムで確かなものは、「音楽」だけだ。だからこそ、このアルバムは素晴らしい。本作を聴き終えてから、ふとした瞬間に考えてしまう。「僕」と「私」は出会えたのだろうか? と。わからない。でも、ひとつ断言できることがある。「わからない」とは、希望なのだ。 音楽って遥か昔か